本の紹介『優雅な留学が最高の復讐である』

本書は島岡要先生が出された最新書籍。

人生で初めて、書籍の解説を書いてくれとのご依頼をいただきました。この本の生まれる場面に立ち会っているものとして、快くお引き受けいたしました。しかし、島岡先生のクリスピーな文章に、解説を付けるというのは人生最大の苦行でした。結局、「解説」のようなものは書けなかったので、この本が生まれるまでのいきさつと、鼎談の内容をご紹介するにとどまりました。私が書いた解説部分を転載する許可を出版社からいただきましたので、掲載することで、本書の紹介とさせていただきます。

 島岡先生から、「私の視点は斜めすぎて、誤解を受けるかも知れないから、もう少し水平な、というか、凡庸な視点で、私の視点をサポートして下さい」とのご依頼を受けました。私は、島岡先生のように、メタ的な立場で研究留学の意義を十分に掘り下げることはできないので、2011年におこなった鼎談(島岡、広田、門川)の内容を紹介することで、島岡先生のご依頼に答えたいと思います。
 まず、私と島岡先生の出会いについてからお話したいと思います。私は、1999年から 2002年にかけて、米国シアトルにあるUniversity of Washingtonに研究留学をしていました。留学中に「研究留学ネット」(http://www.kenkyuu.net)というサイトを立ち上げました。自分が苦労したアメリカ生活の立ち上げを書き残して、私の後にアメリカにいらっしゃる方が同じ苦労をしないことを目的としたサイトだったのですが、結局、ものすごい濃厚な留学者の交流サイトになってしまいました。その後、研究留学ネットをもとに、医歯薬出版社から「研究留学術」という本を出しました。研究留学ネットを見た、島岡さんが声をかけて下さり、2010年に、私がハーバード大学でおこなわれた1週間のワークショップに出席した際に、ボストンでお会いしたのが、島岡先生との初めての出会いでした。
 「研究留学術」が、そこそこの売り上げとなり、発刊から10年経ったので、10年という時間をおいて、研究留学が何であるのか、鼎談をおこなうことになりました。島岡先生と関西医科大学麻酔科の広田喜一先生(当時、京都大学)と私の3人が鼎談のメンバーでした。このときの鼎談が、医学のあゆみ誌上で連載されたインタビューシリーズ「教養としての研究留学」につながったのではないかと思います。
 鼎談の内容を紹介する前に、鼎談のメンバーのバックグラウンドを説明する必要があるかと思います。島岡先生は、著者紹介にもあるように、日本で臨床・研究をおこなった後、米国留学し、ハーバード大学のPI(Principal Investigator)になるまで成功され、4年前に帰国され、研究を続けてらっしゃいます。広田先生は、日本で臨床・研究をおこなった後、米国留学し、短期間ですばらしい論文を書かれ、日本に戻ってからも、臨床・研究において第一線で活躍されています。そして、私も留学するまでは同じようなキャリアでしたが、帰国後は、徐々に、研究の第一戦から退き、現在は、医学教育を主なアクティビティーとしています。三人は、MDという共通点があり、米国への研究留学というところでまでは同じような経歴ですが、その後のキャリアは三者三様です。
 鼎談で盛り上がった議論の一つは、留学先の選択や留学をするかどうかについては、あまり情報を集めすぎずに、上司の命令に従うくらいの方がうまく行く、ということでした。非常にステークが高いときの選択は、人は間違えることが多い。だから、留学するしないとか、そういう判断は、自分で決めるのはよくなくて、リラックスした立場の先輩・上司が行けと言ってくれたのなら、行った方が間違いが少ないと言うことでした。また、島岡先生が、13年間アメリカにいた一番の原因は、無知であったとおっしゃっていました。事前に情報を知っていたら、きっと、アメリカでPIになるなどという大変なことを選ばなかっただろうともおっしゃっていました。今のように何でもwebで情報が得られる現在は、逆に難しくなっているのかも知れませんが、本書で、島岡先生は「悩んだ末に押し切られるように留学の選択をせよ。」とアドバイスされています。
 もう一つ盛り上がったのは、医師の研究留学の効用は何であるのかという点でした。結論は、医師の研究留学の効用は短期的なものではなく、長期的なものであるということでした。短期的な効用は、インパクトの高い論文を書くと言うことですが、研究留学は、それまで順調に論文を書いてきたような人にとっては、プロダクティビティが下がる可能性もありますし、日本でのポストを得るという意味では、むしろデメリットであるとさえ言えます。鼎談の際には、長期的な効用は何かということまでは議論が煮詰まりませんでした。医師の研究留学の長期的効果は、厳密には証明できない神話のようなものであるけれど、この「回り道の神話」を擁護する、身をもって長期的効果を体験した人はたくさんいて、本書では医師の研究留学を「苦い良薬を飲むことを許される優雅な贅沢」と表現され、研究留学を薦めてらっしゃいます。
 さて、ひるがえって、私のキャリアの中で、研究留学はなんであったか、あらためて考えてみました。私の研究留学は、短期的な効用として考えれば、明らかに失敗でした。留学前には、年に数報の論文が出て、非常に研究は順調でしたが、まったくテーマを変えてあらたに挑んだ留学中は、プロダクティビティが明らかに落ちました。また、帰国後は、しばらくは研究にも力を入れていたものの、徐々に、臨床や教育に軸足を移していきました。では、私は、研究留学したことは意味がなかったかと聞かれれば、そんなことはありません。今、大学で得ているポジションは間違いなく、研究留学の効用であったと言い切ることが出来ます。そういう意味で、私は、研究留学の長期的な効用という神話を信じている人間の一人です。
 私は、人生になにか化学反応をおこす一番有効な方法は、場所を移すことだと思っています。しかも、場所は遠ければ遠いほど化学反応はおこりやすい。遠いというのは、物理的な距離の問題でもあり、言語や分化という意味での距離でもあります。そういう意味で、留学は、一つの大きなチャンスだと思います。しかも、ただの旅行でもなく、学生での留学でもなく、研究留学は、行った場所で必死にならざるを得ないので、効果は大きいと思います。しかし、勝手なことを言うようですが、そこでおこる化学反応が必ずしもよいものかどうかは保証が出来ません。また、その時には、よい化学反応が起こっているように思っていても、長い目で見て、その化学反応がよいものではないこともあります。もちろん、逆もあります。しかし、それでも、研究者として生きていくなら、その化学反応は受けるべきです。島岡先生は、いろいろなキャッチコピーで、みなさんを惑わしながら、研究留学を薦めていますが、私から言わせてもらえれば、「つべこべ言わずに留学に行きなさい」ということになります。

※鼎談の内容は『研究留学術 第2版』(医歯薬出版)に収載されています。

アーカイブ

過去ログ一覧